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2012年12月06日

具体的すぎてもダメである ~最適なコンセプトの定め方~

 しんしんと寒さが増し、外に出ると手がかじかむ感覚を覚えるようになりました。私は寒さには弱いことを自覚しておりますので、既にスラッグスの中からモモヒキを着て寒さを和らいでおります。ユニクロさんのヒートテックは私の冬のお気に入りです。

 さて、先日から最適なコンセプトの定め方を見てきております。先回は、「生きる力」として、「個性」「創造性」「人間性」などの多用される言葉の概念が抽象的で、具体的にどのような力をつけていけばいいのかわかりにくい、言葉が多義的で受け取る人によってイメージが変わり、共通の認識を築きにくい点を指摘しました。

 では、具体的であればいいのかというとどうもそうではなさそうです。

 具体的な教科内容に即した目標設定、例えば計算力や書き取りの力といったものを例にとって考えてみます。

 齋藤先生は、「計算力や走力という規定の仕方の利点は、測定が可能だということである。自分の成長の度合いを知ったり、他人との比較がクリアにできるということは、向上するための目安として悪いことではない。
 しかし一方で、あまりにも具体的すぎるコンセプトは、異なる経験をつないでいく力を持たない。
 たとえば、計算力や走力といった力はあまりにも具体的すぎて、教科の枠内に閉じられた目標設定でしかない。計算力や走力といったものは、さまざまな活動領域の諸経験を相互に結びつける力を持たず、算数や体育で重要とされる力であっても、国語や社会ではまったく必要とされなかったりする。そのような力の設定では、教科や横断的に貫くコンセプトにはなりえない。」といいます。
 異論はあるとも思いますが、さまざまな活動領域の諸経験を一定の共通要素でもって括り、さらにそこから発展的に昇華したコンセプトを生み出すことまで要求することを考慮すると不足しているかもしれません。

 さらに、「教科を横断的に貫いていく思考のあり方が求められるようになった。自分の経験をさまざまな観点から捉え、その後の活動に生かすような、経験と思考の循環回路を技として身につけていくことがいっそう求められるようになっている。
 これからの教育においては、さまざまな教科の勉強が、有機的に絡み合うようにすることが必要である。」
 と言っています。

 ふたばふたばふたばふたばふたば

 末尾になりますが、いつも最後までお読み頂きありがとうございます。

 


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Posted by ひるとん at 09:59│Comments(0)教育
 
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