てぃーだブログ › ミッション!パッション!!ハイテンション!!!

2012年05月07日

⑥公示の制度の目的

 おはようございます!
 
 暑さがますますと増す中いかがお過ごしでしょうか?( 〉 〈 )

 私は、ここ最近から、ポピュラーとなったハーバード大マイケル・サンデル教授著の「これからの「正義」の話をしよう」をコツコツ読んでいます。

 実に示唆に富んだ話が綴られ、家族・会社、ひいては、国家・人種・民族・地域という集団の枠組みをまたいだコミュニケーション・話し合いというものがどんどん出てくる、それには会話・対話・議論というプロセスを経たコミュニケーションをしていった方がよいというものでした。詳しくは書籍を読んでみて下さい。

 さて、先回は、不動産登記制度は、公示と課税が目的の2本柱です。それをするための方法として登記という手立てを講じているのですが、では、不動産登記簿に載っている情報が本当に真実の情報でしょうか?実は必ずしもそうとは言えません。ですが、高い確率で真実に近い情報だと言えます。なぜでしょうか?

 という問いかけで「続く。」としておりました。

 この問題は、依然お話しした、

 「物を譲り受ける場合、その物の所有者からでないと有効に譲り受けることはできない。」

 という法理と関連させて見ると分かりやすいと思いますので、関連させて以下、続けて綴っていきます。

 例1.生を全うした父が他界し、父の遺産を相続したAさん。今後は自分も住み、その上で安定収入を確保しておきたいと、   居宅目的・事業目的の店子さんに貸して賃料収入を得るためのアパートを建てたいと計画し、日頃から市街地に土地    を探し求めていました。すると、市街地に甲土地という希望に沿いそうな物件を見つけました。

 Q.Aさんが安全に甲土地を手に入れるためにはどのように行動すればよいでしょうか?
 
 まず、不動産取引をするにあたって必要な書類と言われているものの一部に、

 1.不動産登記事項証明書(不動産登記簿)

 2.地図証明書(公図)

 3.固定資産評価証明書

 があります。

 特に1.には、目的の土地が①どこにあるのか(所在・地番)、②どのように使われているのか(用途)、③どれくらいの大きさか(地積)が【表題部】と呼ばれる箇所に記載され、④誰が持っているのか、差押え等の制限がかかっていないかなど(甲区)、⑤抵当権・地上権などの制限がかかっていないか(乙区)、等が記載され、目的の土地の状況、権利関係(現在)誰が持っているか等を調べるために用います。

 例1で、Aさんはまず、「この土地の大きさはどれくらいだろう、周囲との境界はどうなっていて擁壁から一定の距離はとれているのだろうか」などいろいろ気になる点は出てくると思うのですが、その中でも特に重要だと思われるのが、「誰がこの土地を所有しているだろうか」という点です。その点を調べるために不動産登記簿を取得し、Bさんが所有者だということがわかり、交渉を重ねてお互いが納得できる内容にすることができたので成約に至りました。そして、AさんBさんは共同して名義変更(売買契約による所有権移転)の登記申請をし、甲土地の引渡しを受け、それに対しAさんは売却代金の支払いを済まし、安全に取引を終えることが出来ました。

 さて、ここで一つの疑問です。

 「なぜ、AさんとBさんは登記申請をしなければならないのか?」

 という点です。

 登記を申請しなければAさん・Bさんは何か罰せられることがあるのでしょうか?

 結論から言うと、罰せられることはありません。

 ただ、登記名義を取得者に移さないでいると、損をする危険があります。

 不利益を受けるから移しておいた方がいいよという発想です(不利益誘導)。

 どんな損なんだろうと思います?

 せっかく購入した不動産を失うかもしれない損です!

 時間と労力と金銭、多数の関係者が力を結集し取得した土地建物。家財道具を搬入しそこで生活をする環境はおおよそ整っていたとしても、転得者は、「じゃあ新たな居宅先が決まるまでは・・・」と悠長に待ってはくれません。
 
 「損」というのは、法理論上は、損害として認定できるかどうかにかかってきます。

 そして、「購入した不動産を失う」と言う事実が損害として認定された場合は、次はその賠償を「誰が」「どのように」していくのかなど、「損害賠償」が問題となってきます。

 話を戻して。。。
 
 上記したような
 「登記をしたことにより売買契約が成立します。」というのではなく、「登記名義を取得者に移さないでいると、損をする危険があります。」という仕組みを「対抗要件主義」と言います。
 私たちの国においては、不動産の名義の取得(権利の変動)に際して、登記を要求しているのですが、この要求の仕方が対抗要件主義という考え方・価値観を基底に制度設計されているということです。

 実際のところ、ある土地の権利状態が、「不動産登記に示された権利内容ではないこと」というのは、事実上ないといってもいいくらいないでしょう。統計も私は知りません! 

 私たちの国においての、不動産の取得にかかる制度の仕組みを実際の事例に沿ってカンタンに見てきましたが、疑問になった方もいらっしゃると思うのですが、じゃあ、この「登記」というのは何なのでしょうか?

 登記制度、私法上の仕組みの中で重要な位置づけとなりますので、次回以降概観していきたいと思います!

 末尾になりますが、いつもお読み頂きありがとうございます!!!
                                       ひるとん

 ふたばふたばふたばふたばふたば

 

 写真は、ご近所の「田(でん)そば」の田そばソーキの中です!
 しょうゆが効いていて、肉がたくさん入っておりボリュームまんてんでした!


 
  

 


   

Posted by ひるとん at 10:09Comments(0)TrackBack(0)法律

2012年04月23日

⑤不動産と動産の区別 ~続編~

 おはようございます!
 冷え性が故にまだまだ長袖の私です。でもそんな私も今朝は汗をかいていました。普段汗をあまりかかない私なのですが、寝ている間の方が意外と汗をかいているのかもしれません。私の運動量って。。。

 国政の場に目を転じて見ると、増大する社会保障にかかる人・物・システム等を組立て・維持・検証・再実行していくための資金、何よりも東日本大震災の被災者・被曝者の生活再建、地域の復旧・復興のための資金に充てるための消費税増税法案が慎重に審議を重ねられております。間接税の引き上げは消費の低迷にも直結する長短の影響が大きな政策決定になると思われるので、手当ての部分・細目まできめの細かい検討・検証していってもらいたいものです。

 さて、先回は、「ではなぜ、私たちの国日本ではこのような土地建物を別個と考える仕組みをとったのでしょうか?
」という文でその回を括りました。一個一個の建物を支える土地も併せて建物所有者の物としないと不安で仕方がないと考える方もいるかもしれません。

 それは、民法を作り込む作業をしていた1896(明治29)年当時、370条を定める条文を「土地と建物は別々の物だという慣習がある」という発言が一部から出て、結局はその理解が大勢を占め、その理解を前提に定められたからだということです。

 次に「そのような慣習がある」という理解が前提となったのは、どのような背景あったからなのでしょうか?

 それは、1872(明治j)5年に、明治政府が租税収入の変動を少なくするため、税金を米による「物納」から、農地所有面積に応じた、「金納」に変更しました。これを「地租改正」と言います。その際、全国に土地の測量を命じましたが、測量を実際に担当したのは、江戸時代からの伝統を引き継いだ、農村の自治的組織でもある「村役」たちでした。税を徴収すると聞かされ、農民が自費で作る図面ですので、面積や長さは、少な目に作られています。土地の標準的な収量(玄米収穫量)である「石高制」のもとでの土地への課税の仕組みを念頭に、土地への課税のため、地租改正に当たって測量した成果に基づき、「地券」が発行されました。これが、土地の所有権を表彰するものとなりましたが、その結果、建物についての権利の表象は「地方ごとの家券制度」に委ねられ、土地と建物が別立ての制度となってしまいました。

 そして、その後に私法上の公示制度として導入された不動産登記制度は、上で述べた「地券制度」や土地建物を別立てとする公証制度を基礎としていたために、土地の登記と建物の登記とが別立てで設けられることとなり、これがその後の土地建物を別個の不動産とする意識の背景をなしていたと考えられます。つまり明治初年の土地税制の仕組みがその後の法制度の組み立てを方向付けたといえます。

 税金の制度が、私たちの生活の要である土地建物の公示の仕組みにまで影響したとは、どこまでも税というのは私たちの経済面だけではなく、法律の制度の面等多面にわたって大きな影響を及ぼしていくのでぜひ、国民にも目的・利点・不具合・手当て等わかりやすい形で、決定の過程に至るまで丁寧な説明をしてもらいたいものです。

 さて、ここまでの話で不動産である土地建物、不動産登記制度は、土地建物を誰が持っているのか(誰が所有しているのか)を公示する機能を有する制度であるということがわかりました。そろそろつっこみが入りそうです。「だから何なの?!」というつっこみが。
 重なりますが、不動産登記制度は、公示と課税が目的の2本柱です。それをするための方法として登記という手立てを講じているのですが、では、不動産登記簿に載っている情報が本当に真実の情報でしょうか?実は必ずしもそうとは言えません。ですが、高い確率で真実に近い情報だと言えます。なぜでしょうか?

 
 
 
 続きは次回。

 末尾になりますが、いつもお読み頂きありがとうございます!!!
ひるとん
 
 

 ふたばふたばふたばふたばふたば


 昨日、お嫁さんと国際通りの中の一銀通り近くにあるインドカレー屋さんでの「ランチカレー」価格は100円引きで700円!お手頃。量も程よくあっさりしたベースの味でショウガが入っているようでヘルシーさも醸しておりました。お嫁さんは沖縄市プラザハウス内のカレー屋さんと比較してラージャがいいと言っていたのですが、私は個人的にはプラザハウス内のカレー屋さんの方が味がしっかりとしていていいと思いました。ただプラザハウス内の方が高い。。。

 



   

Posted by ひるとん at 10:15Comments(6)TrackBack(0)法律

2012年04月10日

④ 不動産と動産の区別

 おはようございます!
 皆さん、お元気ですか?
 外はすっかり春らしくなり半袖を着ても冷たさと暖かさが混ざり合った季節の変わり目らしい感じを受けます。
 
 先回の話で不動産登記制度の中味に入る前に、そもそも「不動産って何??」という点から話を始めた方が今後の話の理解が深まると思ったので、まだ、登記制度の中味には入らず、「プロローグ」が続くという風にお考え下さい。

 では始めます。。。


 私法の一般法は民法であると言われます。私法とは、個人と個人の関係を規律する(定める)法律です。対比されるのが、個人と国家との関係を規律する法律である公法です。憲法や行政法が公法にあたります。

 民法は、私法の一般法です。その民法はどのような目的を持ち、何を定めているのでしょうか?

 民法とは「人が市民生活をする上で、財産の相続・処分や親子・親族などの身分に関する法」と定義されます。もう少し具体的に見ると、民法は、市民生活の根幹である財産や家族について、所有権・相続・時効・契約・不法行為・家族・団体・人格権などの権利義務の付与のためのルールを敷いていると言えます。

 そして、私たちが概観しようとしている「土地や建物」は民法の視点から見ると不動産にあたります。このことは一般的に認知されている事かとは思います。他方「動産」とは、何かというと、不動産以外のもの(民法85条)。消去法ですね。
 そして、以外と思われるかもしれないのですが、一口に不動産といっても土地と建物を一括りで「不動産」というのではありません。民法においては、土地と建物は別々の物として考えられます。住宅ローンを利用する際などに条件となることが多い土地建物に設定される「抵当権」の効力の及ぶ範囲を定める民法370条には、「抵当権は、抵当地の上に存する建物を除き、その目的である不動産(以下、「抵当不動産」という。)に付加して一体となっている物に及ぶ」とあります。

 ただ、このような土地建物を別々に見るという考え方は、大勢かというそうでもありません。外国の法制では建物は土地に対して一体として考える方がむしろ多いようです。
 
 ではなぜ、私たちの国日本ではこのような土地建物を別個と考える仕組みをとったのでしょうか?

 続きは次回。。。

 ふたばふたばふたばふたばふたば

 
 
  

 写真は、先週末に研修のために行った熊本での名物辛子レンコン。空気の通り道の役目を果たしているといわれる「穴」に詰められたカラシが「鼻」につ~んと来るあの感じがビールを誘いますニコニコベー

 
  

Posted by ひるとん at 09:27Comments(2)TrackBack(0)法律

2012年03月22日

③ 不動産登記って何?

 春分の日も過ぎ、春からいよいよ夏に移るまっただ中、皆さん、如何お過ごしですか?
 暦の上では、春分の日を堺に日照時間が長くなるとのこと。私は、寒さに弱く、身体内の骨がキシむような感覚を覚えるので冬よりは夏が好きです。気分がスカッと爽快な気分もしますしね!

 皆さんは、季節ではどちらが好きですか?

 さて、本題。

 ①社会生活の拠点である住居。家族が集い、食事を共にし、睡眠をとり1日の疲れを癒す。そのような文化的生活を営むために不可欠なものである住居、 門の表札には氏が悠々と刻印されています。

 ②勤務先の会社にも勤続10年。妻、子ども3人と家族も増え、今住んでいるアパートでは手狭だな戸感じる時期。市街地において売り出しをしている最適な住居を発見!!そこには、不動産業者の「のぼり」が風に揺れてたなびいていました。

 明文化はされていないのですが、法律制度上、そして、道理からも、自分の物である以上、他人がその物を処分できないことには納得を得られるでしょう。言い換えると、物を譲り受ける場合、その物の所有者からでないと有効に譲り受けることはできないということです。

 では、①や②の例において何を見れば、その住居の所有者がわかるのでしょうか?①においてはそれは本当に表札に出ている人の物でしょうか?②においては、本当にその「のぼり」が出ている不動産業者の物なのでしょうか?

 そうとは限りません。土地、建物等の不動産が誰の物かは、その土地建物がある地域を管轄する(行政権により支配する)法務局が取り扱う不動産登記簿(現在では正式には「不動産登記事項証明書」といいます。)を見ればわかります。

 「不動産登記簿」って、皆さん、聞いたことがありますか。知る人は知っていると思うんですが、関わりがない人は、「初耳だ。何だそれは?!」という風に感じていると思います。
 土地建物等不動産において、不動産登記制度は重要なものであるにもかかわらず、認知度は低いと思います。それは、私たちの国の教育機関が、社会に敷かれている法制の認知に対し、英数国理社並びに高等学校でのそれの発展的学習である基礎学習を優先しているからだと思います。そして、義務教育、高等学校教育、大学を卒業した後は不動産登記制度などの基礎的法制について学習する機会がほとんどないことが要因であるように思います。

 そのような法制に対する認識状況を問題だと考えますので、ブログを通して、私の学習も兼ねて、わかりやすく発信できればというのが一つの狙いです。

 話を戻して。

 さて、「不動産登記」という制度は、土地建物などの不動産全体を規制する法律ですので、まずは、「不動産登記」という俯瞰的な視点から土地建物などの不動産の全体像を把握できればと思います。

 それを見た後で、個別の居住環境に対する法制を見ていく予定です。 

 不動産登記制度、ひもといていくと、太閤検地にまで遡ります。ですが、わかりやすい理解のため、明治22(1889)年にまで遡りましょう。

 何かロマンめいたものを感じますね。
 実は、皆さんも聞いたことがある民法の生まれ年が明治29(1896)年ですので、それよりも古い時期から登記制度というのはあったんですね。そこから「取引に対する安全」だったり「もれのない公平な課税」社会理念は重要視されていたことがうかがわれます。

 登記制度の詳しくは次回以降見ていきましょうね。

 

 
 

 ふたばふたばふたばふたばふたば

















 
 
写真は、コープアップルタウン内、「韓国鍋料理 東京純豆腐」での緑野菜スンドゥブ。

スンドゥブとは、豆腐を中心とした鍋料理のことです。ぼくは豆腐が好きなので、おいしかったですよ!


 詳しくは、http://www.tokyo-sundubu.net/kodawari.htmlにて。。。




  

Posted by ひるとん at 12:33Comments(0)TrackBack(0)法律

2012年03月15日

住居の形② -歴史的経緯-

 皆さん、おはようございます!
 弥生3月も半ばに入ろうとしていますが、調子よくお過ごしでしょうか?

 私はというと、なんだか少しのどが痛く「のど飴がほしい・・・」といったところです。風が冷たく空気が乾いているように感じるためなんだかのどがいがらっぽいです。

 さて、「支え合ったら人になる、支えるから人なんだ、支え合うから人なんだ」という某団体から放送される唄からも感じられるとおり、人は一人で成立するのではなく、役割を分担し合い、励まし合い支え合い成立するものなのだと感じます。それは、動物に目を向けても、百獣の王ライオン、シマウマも集団を形成し、互いに役割を分担し合い、外敵に対する集団的抑止力を享受しておりますよね。集団の形成というのは、生物の本能のような気もします。

 社会的集団の最小形態である家族が集い、共に生活を営んでいく「住まい」、その形は非常に様々な形があり得るのですが、ここから「集合住宅・マンション」というキーワードを軸に、住居の形態が集合住宅に至った経緯と、集合住宅にかかる法規制の経緯を俯瞰していきましょう。

 まず、集合住宅が都市に住む者の住居形式として一般化していったのは、近代以降のことです。工業化社会の到来によって急激な都市化が進んだ当時、大都市の密集を拡散し労働者に経済的、衛生的な住宅を提供することは社会にとって最も急を要する課題の一つでした。日本においては集合住宅という形式がもたらされ、建設されだすのは大正末(1926年)から昭和の初め以降でした。その初期における集合住宅建設の先駆けとしては、関東大震災(1923年9月1日)後に設立された同潤会(詳細はhttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8C%E6%BD%A4%E4%BC%9A(ウィキペディア同潤会)をご覧下さい。)の試みがあります。

 戦後日本住宅公団が設立されると、その供給する住宅が雛形となって各地に団地が建ち並ぶようになります。集合住宅建設が本格化し始めるのです。その出発点と成ったのは、冬至四時間日照を基本条件とする平行配置というおそらく単純で貧しい論理でした。それが昭和30年代、つまり1955年ぐらいから公営・公団住宅において採用され、そのまま高度経済成長期を通じて日本の基本形をつくっていきます。
 
 冬至の四時間日照、即ち冬至前後の日にも集合住宅に住む全ての人々に平等に日の光を保障し、良好な住環境を保障する。これが日本の集合住宅の平行配置と隣連との距離を設定するときの基本的な考え方だったのです。それは、確かに戦後都市住民にある一定水準の住居を提供することには成功しましたが、一方では固有性や地域性といったものが無視され、徹底的に画一的な住環境がつくりだされてきました。現在では、そのあり方も反省され、画一性を打破しようとするような試みがなされるようになってきましたが、いまだにその思想は日本の集合住宅における支配的な観念として根強く残っています。 
 ただ、そこには、経済の論理が最優先されていたことともう一つ、「持ち家一戸建て」にこだわり、特に南面に固執し続ける「日本人の住宅観」の問題が要因としてあるように思います。
 日本では「南向き崇拝」とでもいうように、個人住宅、集合住宅に限らず部屋は全て南向きを良しとする傾向があります。そこには、人々の心の内にある日本の伝統的な住宅イメージが、根強く残っているような気がします。それは、おそらくかつての書院造りのような南側に庭があってそれを床の間からながめるといった性格のものです。

 ・・・と現代日本の集合住宅の伝統的構造に対し痛烈なコメントを発しています。

 ここまでは、安藤忠雄氏に依って日本の個人住宅、集合住宅の歴史的経緯を見てきました。


 それでは、その人が家庭が住まう「住宅」に対し、法はどのように制度設計され法的保護を設けてきたのでしょうか?

 そして、どのような変遷を受け、現在どのような法的制約を設けているのでしょうか?

 次回からは、住宅に対する法的規制の構造を俯瞰的に見ながら、諸処の視点から楽しみながら見ていきましょう。

 それでは次回までこれにて失礼します。

 参考図書:安藤忠雄「建築に夢を見た」日本放送出版会



 夜の山形、先輩司法書士が人型を作ろうと積もる雪の中へダイブ。活気溢れる行動に思わずパシャOK 

 

 ふたばふたばふたばふたばふたば  

Posted by ひるとん at 09:36Comments(0)TrackBack(0)法律

2012年03月09日

住居の形。その前に・・・。

 皆さんおはようございます!

 今日は雨ですね~。嫁が「アメもいいよね。車のヨゴレを落としてくれるから。」と言っていてついでに、日頃たまる私の心の澱も流してくれたらいいのにとセンチメンタルなことを考えつつ雨模様の那覇の道路を車で送ってもらいました。皆さん、いつもどおり小さな事をコツコツとやり遂げていきましょう!!!

 さて、本論。
 
 皆さんがお住まいのお宅のカタチはいつ頃から出来たのでしょうか?私は、生まれた頃から当たり前に両親が用意してくれた居宅に住んでいたので、日頃意識して今の住宅のカタチが出来た経緯・意義などについて考えたことがなかったのでこれを機に考えていきます。

 まず、日本での住居事情というのが、経済的・社会的等様々な要因により構築されてきたものだということが指摘できます。
日本を代表する建築士安藤忠雄氏は、「建築の原点は住まいにあると私は考えています。人間の最も根源的な欲求から生まれる住まいとは、底に住む人々の生活や気候風土の違いがそのままに表れる土着のものでした。世界各地にある土着のお住まいを眺めてみると、ときに驚くような表現のものもあり、改めて人間の生活の多様なあり方に気づかされます。」と述べており、現代日本の住居が普遍的なものではなく、特有の風土・経済事情を背景に建築家の創意工夫のもと生まれたものであることが窺われます。

 さらに安東氏は問題提起を続けます。「現代に住まいはと言えば、そのほとんどは合理性、機能性を第一とする近代的氏既往のもとつくられたものです。また誰もが同じような快適さを求めたがために、地域による差異のない、画一的な住環境が世界中に形成されています。」

 便利であることは、すなわち豊かなことなのでしょうか?

 この点、安東氏は「現代日本に生きる私たちの住環境を考えてみると、便利ではあるけれども、ヴァナキュラー(土着的)な住まいの持つような、地域につちかわれてきた経験に基づく差異は失われつつあります。そこには、多様性という豊かさも、住まうことへの思いも、夢も感じられません。ただ、代価に見合った機能を供するだけの商品としての住まいがあるだけです。」と言い放っています。

 私は、現代日本の住居形態の発想が貧しい、と言いたいのではありません。日本の建築が構想する豊かさだけが真の豊かさではない、もっと広い視野で住んでいる地域環境や風土に根ざした住まい方という住居形態もある、ということを言いたいです。そして、そのような多様性を含んだ視点を前提に、「住居の形」を見ていきましょう!!!

続きは次回。
  

Posted by ひるとん at 10:21Comments(1)TrackBack(0)法律

2012年03月07日

住宅に係る法律を複数回にわたって見ていきます!

皆さん、おはようございます!

暑くなり夏がいよいよ到来かと思ったら、まだまだ肌寒さは続きそうな気候で、私はなにやらノドが痛くなってきましたが皆さんにとりましては、体調こわさず一日一日の仕事に邁進しているものだと存じます。

県庁所在地那覇では、那覇市真嘉比において、新設住宅の着工・建設・完成の動きがまだまだ目新しく、持続しそうな良好な景況が見受けられこのまま着工件数が伸び続け、地域・県内ひいては日本の景況が良好かすれば何よりですね。

さて、住宅と一口に言っても現代では、様々な形態の住宅が見られますね。視野の狭い私から見ても。。。

中高層マンション、一戸建てから始まり、

既に建てられている建売にするのか、それとも自分の意向・希望を十分に反映した注文住宅にするのか、

そもそも新たに建てるのか、中古だけれども良質な物件を買うのか

云々、様々な選択肢の中から、現在の自分の意向に合った最適な選択肢を選び抜いていくのです。

一生というライフステージの中でも、特に重要な場面。石橋を壊すくらい、慎重に叩いてわたりたいですね(あっ、壊したらわたれないか!)。

私からは、それぞれの居住環境に対して、どのような目的でどのような立て付けの法整備がされているのかをこれから複数回にわたってお伝えできればと思います。乞うご期待(プレッシャー?(笑))

ふたばふたばふたばふたばふたば

  

Posted by ひるとん at 10:06Comments(0)TrackBack(0)法律

2012年03月05日

しっかり遊ぼう!!

 皆さん、おはようございます!って夜ですね。。。

 (朝からコツコツ組み立てて出来たのが今です。。。)


 弥生3月の第2週、晴れ渡っていますね。なにやら気分も晴れ渡り、今日もいいことがある1日になりそうですね。

 皆さんは、休みをどのようにお過ごしですか?

 月並みですが、休みの充実度がその人の仕事を左右するというが私の考えです。が、、、最近怠っていましたので、嫁と共に夏(?!)真っ盛りの沖縄の海で心を洗おうと中部勝連半島にまで車を走らせました。

 


 仲間に教えてもらい、ついに着きました。目的地「麦麦(ばくばく)」。麦麦だけに麺を100%小麦粉から作ったというこだわり。そのこだわりをただただ貫いていているのがお店です。




 で、仲間にお勧めを教えてもらい、ぼくが頼んだ「黒ごま風味の担々麺」。コクあり。量もほどよくおいしかった!
 
 

 
そのあと、気分も陽気となったため、勝連の海までドライブ!!







 晴れ渡りいい気持ち。





思わず、嫁に写真を撮ってもらいました!!!

嫁と一緒に週末を満喫しました!!!

ふたばふたばふたばふたばふたば
  

Posted by ひるとん at 22:33Comments(0)TrackBack(0)休日

2012年02月27日

失敗をバネに

 早いもので、2月も残り僅かと成ってきました。
 皆さんはいかがお過ごししょうか。私は、うまくいっておりウキウキかと思いきや私が意図せず発した言葉に対する相手の的確に心を打つ批判に打ちのめされたり、心の浮き沈み激しく日々を過ごしております(涙)。

 その時に大事なのは、一事に一喜一憂せず事物に対し学ぶべき事を学びしっかりと今後の行動に活かす決意と実行を決めたならば、後は前を見据えることでしょうか。木々を支え豊かな大自然を育む山のように、激しくうねり時には優しくさざなみ静さをたたえる海のように、大きな大きな心根を持ちたいものですね。

 さて、あれこれ考えるのと同時に、基礎練習を積み重ねる大事さを再考しました。もんもんとした思考の中に見いだす答えもあるにはあるんでしょうが、私はなんだか不毛だなとも思えてきたので、シンプルなテーマをシンプルに思考することを継続していきます。

 久々の投稿は、上の「職場の教養」2/27(月)、テーマ。

 皆さんは、失敗とは何だと考えていますか。

 テーマの導入文には、「失敗は尊い月謝です。」と書かれていました。

 失敗。心弱い自分としては、できれば会いたくないと思う人No.1ですが、これがないというのもまた問題とも考えています。
 自分に対し挑戦することを逃げていると考えられるからです。無難な課題・ハードルを設定して、淡々とこなしている・・・、そんなイメージを抱いてしまいます。自分に問いかけています。「果たして日々前進を試みる挑戦する自分」で有り続けられているかと。

 私は、正直言って、自分が自分に素直になりきれていない部分があります。「こう言いたいのに」と思いながらも、相手の心情を気にして、また、気恥ずかしさから言わないことがあります。それが積み重なると、言うのがおっくうにもなってきて自分の意見を言わないことがしばしばというくらいにもなってきました。

 こうなると、自分の考えを表に出すということが非常にハードルの高いものになってきています。それが私の自分像と合っているかというとそうではないです。そうなってしまうのは、理想の自分像と向き合う時間、「自分が人間としてどういった人間でありたいか」と自分のことを考える時間が減ったことも要因だと考えています。
 もともと心弱い自分。目標・自分像を見据えていないとどんどん萎縮していきそうで。心を強くする方法があればいいのですが、身体は筋トレ等をすればいいのでしょうけれど心はそうはいかないですもんね。

 タフな心根を持つためにも失敗を恐れず、意見を言っていきます!!

 
 ふたばふたばふたばふたばふたば  

2012年01月26日

やりたいことをするためには?

 皆さん、遅ればせながら新年明けましておめでとうございます!

 今年も既に睦月1月が過ぎようとしており、時の過ぎゆく早さを呆然と眺めては深く息継ぎをし平静を取り繕うことをしておりました。

 でも、それもいい加減終わらせ最高の自分へ挑戦する姿勢を取り戻すための歩みを進めていきます。

 皆さんは既に歩調を整え足早に、計画を前倒しにしながら日常に・仕事に・課題に取り組んでいるところでしょうか?
 ぜひ今年も皆さん一人一人の飛躍の年になるようにお祈りします。

 そのためには、行動あるのみでしょうが、「新年明けでペースダウンした心身では何をどうしればいいのか」と、考えあぐねる方もいるかもしれません。ぼくはそうです!(笑)


 そこで、おなじみ「職場の教養」において、このような事が書いておりました。

 「〈まぁいいや、後でやろう〉という心が、後始末を面倒にさせます。それが乱れた生活環境・職場環境を作ります。
 ある日、Aの職場の机周りを見て、Bが『後始末が苦手だという人がいるけれど、それは単に面倒くさがりなだけだよ』
 これまで後始末が苦手なことに対して、〈自分は物への感謝が足りず、決断力が鈍いからだ〉と考えていたA.後始末や汚れた環境を見たときに起こる「面倒な心」を改めるだけなら、自分にもできないはずがないと心しました。」

 物事を面倒だと感じる心を改めるというのはどういうことなのでしょうか?

 自分の小さな事から率先して対処していくと、他人の小さな事、自分の大きな事、他人の大きな事、と自分がやるべきだ・やろう着想する対象が増えていき、面倒だと感じることが少なくなっていくのでしょうね。面倒だと感じる心を無くすというのは、人間の生理・心理上、不可能なので、実際活用するためのコンセプトとしては、

 「面倒だと感じることを減らす!」というのが実際にも活用しやすい気がします。

 今年あれしよう、これしよう。と思いながらも出来ていない方。計画の建て方の工夫、時間管理等考える事項は諸処あるでしょうが、行動領域を増やすと体力が増し、総じて目標に充てる時間も増えると思いますよ!私も実践します。

 今日もよい1日を。

 ふたばふたばふたばふたばふたば
  

Posted by ひるとん at 09:37Comments(1)TrackBack(0)生活

2012年01月26日

やりたいことをするためには?

 皆さん、遅ればせながら新年明けましておめでとうございます!

 今年も既に睦月1月が過ぎようとしており、時の過ぎゆく早さを呆然と眺めては深く息継ぎをし平静を取り繕うことをしておりました。

 でも、それもいい加減終わらせ最高の自分へ挑戦する姿勢を取り戻すための歩みを進めていきます。

 皆さんは既に歩調を整え足早に、計画を前倒しにしながら日常に・仕事に・課題に取り組んでいるところでしょうか?
 ぜひ今年も皆さん一人一人の飛躍の年になるようにお祈りします。

 そのためには、行動あるのみでしょうが、「新年明けでペースダウンした心身では何をどうしればいいのか」と、考えあぐねる方もいるかもしれません。ぼくはそうです!(笑)


 そこで、おなじみ「職場の教養」において、このような事が書いておりました。

 「〈まぁいいや、後でやろう〉という心が、後始末を面倒にさせます。それが乱れた生活環境・職場環境を作ります。
 ある日、Aの職場の机周りを見て、Bが『後始末が苦手だという人がいるけれど、それは単に面倒くさがりなだけだよ』
 これまで後始末が苦手なことに対して、〈自分は物への感謝が足りず、決断力が鈍いからだ〉と考えていたA.後始末や汚れた環境を見たときに起こる「面倒な心」を改めるだけなら、自分にもできないはずがないと心しました。」

 物事を面倒だと感じる心を改めるというのはどういうことなのでしょうか?

 自分の小さな事から率先して対処していくと、他人の小さな事、自分の大きな事、他人の大きな事、と自分がやるべきだ・やろう着想する対象が増えていき、面倒だと感じることが少なくなっていくのでしょうね。面倒だと感じる心を無くすというのは、人間の生理・心理上、不可能なので、実際活用するためのコンセプトとしては、

 「面倒だと感じることを減らす!」というのが実際にも活用しやすい気がします。

 今年あれしよう、これしよう。と思いながらも出来ていない方。計画の建て方の工夫、時間管理等考える事項は諸処あるでしょうが、行動領域を増やすと体力が増し、総じて目標に充てる時間も増えると思いますよ!私も実践します。

 今日もよい1日を。

 ふたばふたばふたばふたばふたば
  

Posted by ひるとん at 09:37Comments(0)TrackBack(0)生活

2011年12月22日

年末あなたの部屋はキレイですか?

 年の瀬も残り10日と目の前に迫り、時間の流れが何かセンチメンタルさを含ませながら、街中を行き交う人が視界を行き交う頻度も増しているように感じ、どうもぼくは、「行く年」に対し何か切なさを感じているようです。前も向くことも大事ですが、「行く年」の流れを惜しむからこそ、同様に流れゆく「来る年」の時間を悔いのないように過ごそうと意を新たにすることができるので、悪くはないと言い聞かせているのが最近です(笑)。

 さて、皆さんは、来年を迎えるにあたって身のまわりはどうなっていますか?

 何を言っている?!しっかりとキレイだよという人がいらっしゃれば来年に向けてこのままのペースで。

 「いんや~何も片づいてないよう。大変なってる」という方はお試しになってもいいのではという方法を案内します!

 「その物を使いやすい場所に置いていて、3ヶ月経っても使わないようであれば捨てる!」

 どうでしょう?なぜだと思います?

 それはまた次回。これから忘(望)年会です~ピース

 ふたばふたばふたばふたばふたば  

Posted by ひるとん at 18:24Comments(0)TrackBack(0)生活

2011年11月17日

 返事をする意味

 最近、物事をモクモクと考えるようになり、言語化することをおっくうがっておりました。言葉にすることで考えが整理され、昇華した発想がうまれることがあることをすっかり忘れていたようです。どんどん放出し空いたスペースに新たな発想の芽を植えるため、五感をアッチラコッチラに向け自身を目一杯高めていく努力を楽しくしていきたいですね♪

 さて今日は朝礼内での「職場の教養」において、題目にあった「立つより返事」から感じたことです。

 要点は、相手の呼びかけに対して返事ということは相手の気持ちに配慮するという礼儀の基本であること、あなたに心を向けますと合図する大切な行為であること、返事をしない行為は、「この返事を通して育ってほしい」「頼りに思っている」など好意的に接してくれる人たちを失望させてしまいます。これでは信頼を得られるはずがなく、自身が成長する機会を逃してしまうこと、でした。

 幼い頃、親に「呼ばれたらすぐに元気よく返事しなさい」と躾(しつけ)をされたことを思い出しました。人との関係の中で生きる人間として、当然の礼儀だと思います。
 思うに自分が生きる上での信念・価値観・美意識・信条に、「笑顔で元気よく挨拶の出来る礼儀正しい人となれ」のような内容のものが芯として根付いているかどうかかなと思いました。

 私も、渡邊美樹氏の「使う!論語」(42頁)(三笠書房)にある「郁文十訓」を真似ることから始めています。

 皆さんの生きる上での揺るぎない価値観・信念はどのようなものでしょうか?
 
 ぜひ育みその幹を太くしていきながら真に豊かな充実した人生を歩みたいものです。

 きんじょう

ふたばふたばふたばふたばふたば  

2011年11月07日

~おいしいそば屋さん~

 久しぶりの休日。
 お昼のさわやかなひととき、今日はウォーキングをしようと昨日から決めておりました。 

 ところが、相棒の「今日は日差しが強そう。夕方からにしない?」という提案に糸もあっさりのり、お昼は久方ぶりに「そばがいいね」と、ノートパソコンのDPを立ち上げ、そば屋さんの検索を始めました。

 当日に入ったお店は「みはま食堂」。実は、お目当ては別の名前のお店だったのですが、誤解・誤読してしまいました。でもそれを一掃するかのようなおいしさにボリューム!!

 ぼくが選んだのは「みはまそばセット」。多くは、セットというと、ごはんにおしんことちょこっとおかず程度だと思うのですが、みはま食堂は違う。どーんと暖かな大きなチキンを2つも付けているのです。それでいて安い!!ぼくが選んだみはまそばセットは750円(だったかな?)!!

 安さと、働くスタッフの入ってきたお客さんへの元気のいい挨拶が相まって、その日は大盛況でした。おいしさと量とお店に満足して、玄関を出て駐車場を見ると、車のナンバーがほとんど沖縄のナンバー。地域住民に愛される食堂だなと実感しました。

 ぜひ北谷に映画を見に行かれる場合などはお立ち寄り下さい!!

 きんじょう

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Posted by ひるとん at 09:55Comments(1)TrackBack(0)生活

2011年10月29日

亡父の借金等を寸断するために ~相続放棄の制度~

 1.皆さんがお住まいのご自宅、生活の拠点となり、家族の団らん場・コミュニケーションの場でもあり、社会生活するための力を蓄える場・・・等いろいろな機能を包摂している大事なものですよね。
 そのご自宅、ご両親が建てたものである、建てる際の資金源はどこからかを見てみると、地方銀行から住宅ローンを利用して建てたものだった。

 2.両親の仕事が自営業で、金融機関または個人からも事業資金として借入れをしていた。

 3.持病が悪化し高度な医療を受けるため、両親が自宅を担保(抵当)に入れ借入れをした。

 両親が、上のような理由で金融機関等から借入れを行い、その後他界したという例はしばしば耳したことがあると思います。

 民法882条 相続は、死亡によって開始する。

 民法896条 相続人は、相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する。

 私たちが住む日本という地域(国)は、もの(特に不動産(土地・建物))を個人が持つことができることを前提に、個人個人が自由に幸福追求のため社会・経済活動を行うことを制度として認めています。国等国家機関ではなく個人が財産を保有する建前を私有財産制といいます。その私有財産制を徹底するため、人が死亡する場面で、国家にではなく決められた相続人が承継するための制度として相続があります。これは、西欧から生まれた「自由主義」という価値観に基づき築かれた建前だと言われています(「民法Ⅰ」13頁、内田貴、東京大学出版会)。

 ざっくりというと、絶対王政等封建制が崩れ近代国家が成立する過程で封建的な制約から解放された人々の経済活動を制度的に保障することが強く望まれます。そこで、国家機関は個人個人の自由な経済活動の場を保障し、またその活動を容易にすることにのみ権力を行使するが、それ以上に個人の自由を制約すべきではないという考え方です。

 話を戻して。。。

 「相続」は「一切のもの」を死亡した被相続人から引き継ぐので、上の例では負債としての借入金も承継することになります。また、借入金が財産のほとんど、マイナスの財産しかなかった場合、承継したくないと考える方もいるかもしれません。
 
 そのための制度が「相続放棄」です(民法915条)。

 沖縄にも東日本大震災の犠牲になった方々が身を寄せていると聞きます。その方々に画一的に相続放棄のルールを適用すると、不公平・不正義な面が出てくるため、特例法が制定され、利用期間が延長されています。

 東日本大震災の被災者である相続人の方々へ ~特例法により延長された相続放棄等の熟慮期間は,本年11月30日までです。~
 http://www.moj.go.jp/MINJI/minji07_00109.html

 熟慮期間とは、相続放棄は利用できる期間が限られていて、その利用期間のカウントが「相続開始を知ったときから」になっております。それから3ヶ月の期間のことをいいます。

 法律を手に業務を行う者として、特例法が成立したことをもっと特に東日本大震災の犠牲者の方々が知る機会をつくるべきではないかと思い、また私個人としても出来うる限り周知に努めなければと心するところでした。

 きんじょう

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Posted by ひるとん at 10:25Comments(0)TrackBack(0)法律

2011年10月27日

仕事の効率性

 昨日は冷たい空気が包み込み、上着をはおって外出しなければ思わず身体を丸めてしまうような朝でしたね。原付オートバイ通勤の私には、切り抜ける空気がより冷たく感じるだろうとセーターを着て通勤しました。おかげで暖かく通勤できました。もう冬がそこまでやってきているのを身に感じる朝でした。

 さて、皆さんは仕事の効率についてはどのようにお考えでしょうか。仕事の種類によって効率性を追求するかどうかも変わってきそうですが、基本的にはリズムよくスピーディーに進めていきたいものですよね。ですが、スピーディに損得を積み重ねるよりももっと大事なものがあると考えます。それは、仕事に対するプロ意識・情熱です。その仕事をとおして関係者が幸せになってほしい、ハッピーになってほしい、笑顔になって欲しい。
 ワタミ(株)の代表取締役社長・CEOの渡邊美樹氏は、「売上や利益も追い求めない。ただひたすら、お客様の『ありがとう』をいただきたい。売上や利益は結果でしかありません。あるいは、『ありがとう』をいただくための手段でしかないのです。」といっています。売上や利益を追い求めると、やもすると会社が追い求める将来像からは想定できない行動をとることも考えられます。

 あくまで、追い求めるのは会社の理念から見据えビジョンに対し一歩でも近づける行動だと思います。理念は、会社が地域社会の中でお客様が真に豊かになるために自社が何が出来るか、さらに会社内にいるパートナーである職員とどのような関係を築き成長していきたいかを文章化しているものなので、将来の持続的な存続のため会社内・会社外の地域社会から要求される条件に耐えうるものです。

 ですから、心血注いで立てた理念を追い求めることが効率・損得・利益を追い求めるより大事だと考えます。

 ただ、やはり二元論でどちらかというよりもバランスよく理念を追い求めながら効率よく仕事を進行・完了させていくのが現実的かなとも思いますけどね(汗)

 きんじょう

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Posted by ひるとん at 09:36Comments(0)TrackBack(0)仕事・仕事観

2011年10月24日

~活力の源はどこに~

 月曜日。一週間の始まり。
 今日もさわやかな陽気が私たちを優しく包んでいますね。
 こんな日は何かいいことありそうですね。今日も張り切っていきましょう!!

 さて、今日の朝礼での「職場の教養」、今日の暖かさのように、暖かな気分が皆を包みました。

 「身近な人への感謝を深めましょう」という今日の心掛け。
 知的障がい者、発達障がい等物事を筋道立てて考える思考力が比較的低い人の生活・就労等を支援する施設の責任者の方が、

 「人間の究極の幸せは
  
    ・人に愛されること
  
    ・人にほめられること

    ・人の役に立つこと

    ・人から必要とされること

  働くことによってこの4つの幸せを得ることができる。」

  と話されたのを思い出しました。

 人は、「認められたい。誰かの役に立ちたい」と心のどこかで思っているもの。人は、自由が保障され、その自由をもって自身の幸福追求のため行動することが保障されておりますが、、「人に必要とされること」「認められたい。誰かの役に立ちたい」という思いがその行動の指針・コンパスとなっているのを思うと、なんだか当たり前すぎて、でも思わず目に鼻水がたまってしまうのです。人の間と書いて「人間」と呼ぶように、人は本質的に人と人との間で、尊重し合い支え合いながら生きていくものなのだと実感しました。

 そして、縁あって一緒に働く職場。仲間同士、考え方は違っても、基本となる価値観は共有し深めていけたらと思うところです。

 きんじょう

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2011年10月20日

 親孝行の大切さ

「中小企業家同友会全国協議会」において、好評連載されている「我が社の強み」から、からの引用です。

 シリーズインデックス:わが社の強みは??

【第25回】世界の糖尿病患者に豊かな食生活を サン食品(株) 代表取締役 加藤 三基男氏(愛知)(2011.10.19)

 http://mgz.doyu.jp/touring/111018-173247.html

 それについての、私の徒然なるままの感想です。

 「親孝行」の大切さを知りました。
 人は親から生まれ、その後親になり、子を産む。そうして、親の気持ちを知る。人として自然の営みの中で、感謝をし行動に移すことが、昨今の人間関係の希薄さの所以か、目にしにくいように感じ、またそれは私自身がそうなのですが。
 原田教育研究所の原田隆史氏も提言する「生活面からは始める全体の自立型の成長」、フォーマルな面だけに意識を傾注していても、生活面をなおざりにしていては、ほころびが出てさらなる苦悩を生むのは必然。生活面からの規律による充実した生活により公私両面が改善される。
 生活面で、清く正しく健やかな信条を定立し、それを体現に近づけるための一歩一歩の歩みが成長を生むのだと思います。

 きんじょう

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Posted by ひるとん at 09:42Comments(0)TrackBack(0)習慣

2011年10月17日

引っ越しの片付け ~部分から全体へ~

 新居へ移るため住み慣れた住居を後にするとき、今まで厳しい外部環境から暖かく優しく包んでくれた旧き良き住居にしみじみと感謝を感じました。
 
 週末日曜、一挙に衣服、調理器具等生活用品一式をまとめなければなりません。
 一挙に一式をまとめての大移動となったのは、私の引っ越しが固まったというのに今までの自分の横着のためなのはいうまでもありません(反省。)
 テレビ・衣服・電子レンジ等大ものから片けていこうと一心に、まとめては新居に移動させることを2・3回繰り返しました。なかなかに終わらないなと思いながらも続けていたとき、ふと家全体を見回すと、なかなかに片付かない様子にげんなり感全体です。「まだなのか。」と身体の脱力感を味わっていましたら、相棒の言葉が頭をよぎりました。

 「一つの部屋をまずは片付けること。それが終わるまでは別の部屋には手をかけない。そういう風に一つ一つの部屋を終わらせながら全体を終わらせること。」

 全体をただただ眺めてしまうと大きさに唖然としてしまうところ、全体も部分が合わさって積み重なって出来ていることを考えると、全体を解決させるために部分から取りかかるという考えは、合理的であり、精神衛生上も良かったです!さらに、一所に片けたものをまとめていくこともすると、量が把握でき、またどんどん片けたものがたまっていくという達成感も感じれて気分もいいですね!!

 加えて後半は父親が手を貸してくれて、一層はかどりました!

 残すは、清掃のみです。

 一方の新居では、新しい生活がスタートします!

 きんじょう
 
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Posted by ひるとん at 11:14Comments(1)TrackBack(0)生活

2011年10月14日

落ち着きと冷静さ

 ある日のこと。

 「払いすぎた料金を返してくれ」と裁判上請求を受けている民事訴訟事件の打ち合わせを行っておりました。私は、相談時間(のみならずスケジュールを立てるとき45分を1コマとして予定を組み込んでいます。そうすると、集中力が間延びせず効率よく仕事が進められるからです。小学校でも1コマに入れる時間は45分が多かったですよね!)を45分で組んでいるのですが、この方は話が長いので、1時間で組んだのでした。ですが、結果として充てられた時間はなんと2時間半!!2倍にもなりました。その間、話のくどさに頭に血がのぼったりする場面もありましたが、一呼吸置き冷静さを取り戻し、打ち合わせに当たりました。

 その日の夕刻。

 若手司法書士で組織している「沖縄県司法書士青年の会」の定期理事会がありました。協議事項として私が提出していた「法教育委員会設置の件」で、理事の一人から批判が出ました。私は、その批判に対し頭に血がのぼり、声を荒げ、相手の口を閉じさせようとしました。でも、そこで一呼吸置くと不思議と落ち着きを取り戻ました。その批判した理事は、総論は賛成で、こんなこともあり得る程度で示唆したということでした。

 落ち着きと冷静さは大事だなとしみじみ感じ、自分の器量を高め広げなければなと実感した一日でした。
 

 きんじょう  
タグ :時間手帳術

Posted by ひるとん at 11:12Comments(0)TrackBack(0)生活