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Posted by TI-DA at

2013年03月07日

息抜きブログ

 最近ブログの更新を怠っておりました(謝)
 直接の努力を雑事(緊急なこと)に注がなければならない場面に終始してしまい、現在の自分の方向性のあやふやさのため間接の努力(重要なこと)を注ぐ対象がなかなか設定できなく、時間だけががどんどん経っていってしまう始末でした。

 でも時間は経ちタイムリミットは迫ってくることは不変であれば、ひとまず手を動かそうと思い至り、肩の力を抜いモノローグ的なものから始めていきたいと思います!”

さて、先日初めてながのにいってまいりました。

懇親会会場。酒が心地よく身体に染み渡りもうろうとしてきた矢先、空手家が会場入り。



渾身の力を入れて拳を打ち下ろすも結果は、、、瓦が残りました。。。気にしない。気にしない。

さて、懇親会中の食事は、素材を活かした美食がテーブルを彩りましたが、なかでも、下のものが隠れた珍味として雰囲気の盛り上げに寄与していました。



なんだと思います?そう虫です。お食事中の方は申し訳ありません。無視しましょう。

日中は、研究会の中で沖縄で行われる研修・セレモニーのPRもしていました。

その中で、これ。



沖縄の名産品を取りそろえました。

これで、次回の沖縄でのセレモニー、会場が参加者で埋め尽くされることでしょう。

最後に、大事なことを。

ながのの大会の作り上げ、本当に大変だったことでしょう。
重ねて慰労の意を表したいと思います。お疲れさまでした。

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Posted by ひるとん at 16:54Comments(0)雑感

2012年12月17日

目指したい社会とは何か?

 民主党から自由民主党への政権交代が果たされました。
 およそ3年前に歴史的な政権の獲得を果たした民主党ですが、今回の選挙ではその民主党への失望感が大きな要因だと言われています 
 それを捉えて、昨日の報道において自民党幹部は、「『自民党を選んだというのではなく、民主党がダメだから』という消去法で選ばれた」と言う発言がありました。
 
 私の自宅では、ある立候補者を応援しておりましたが、嫁は、それも「別のある立候補者が当選してほしくないから」というい理由からでした。

 開票速報において同時に公表されていたSNSにも、「この開票結果を踏まえて責任を自覚して政権運営を行って欲しい」というコメントがあったりして、

 選挙権を行使した国民は、選挙権を行使しはしたものの「○○さんにがんばってほしい、○○党に今後の政治を任せたい」と特定の支持したい者・支持したい党に入れたのではなく、特に入れたい党がない、ひとまず景気はよくなってほしいからというような理由からの人が少なくないのでしょう。

 私は、一方で、後半の「ひとまず景気はよくなってほしいから」という理由による投票行為に気になるところがあります。政党には、短期的な景気回復というビジョンだけではく、国家を、10年20年もっと先を見て、どういう日本にしたいかという国の将来の姿を掲げた上での政策を立案してほしいもので、その掲げられた国家ビジョン・政策に対して意思表示である投票をしたいものです。その点では、野田総理の解散を特例公債法案を通すためのかけひきの道具として用いたのは、自分の首を絞めることになるほか、有権者への政策説明・それに対する有権者の理解に必要な時間を確保すると言う点からすれば、もう少し後の時点でも良かったのかもしれません。
 かくいう私も今回は各党のマニュフェストかだったりを検討する時間的有余をとれなかったのが心残りなのです。
 今後、少子高齢化にますます拍車がかかっていくこの国の行く末に対し、将来に責任をもって引き渡すだけの社会・環境・経済・福祉等を覚悟を持って作り上げていくことが社会の一員である一人一人の私たち市民に求められている野だと思います。


 末尾になりますが、いつも最後までお読み頂きありがとうございます。

 ふたばふたばふたばふたばふたば  

Posted by ひるとん at 09:49Comments(0)雑感

2012年12月14日

理想のケースワークとは ~社会性~

 昨日、某団体の相談会に相談員として参加してきたときのこと。

 幹線道路から山合いの傾斜のきつい道路を100メートル~300メートルほどのぼってたどり着くような場所が会場での相談会でもあって、なかなか相談者が来場されませんでした。会場のホールの入口側の壁中央上に赤地にシルバーの自治体のシンボルマークが、閑散としたホールに煌々と輝いていたのがなんだか不似合いに感じました。
 ただ、某団体側にもこの会場で開催する意図があるようで、相談者の数だけが目標ではないようでした。

 私が、内職をしていると、某団体の職員の方が私のいるブースのイスに腰掛けられ、情報・意見の交換を行いました。

 その中で私は、先に行われた、全国青年司法書士協議会が主催した『全国一斉生活保護110番』においての沖縄会場での結果をお伝えし、特に「就労指導の厳格化」が全国での傾向と同様に顕著になってきていることをお話ししたところ、職員の方から、生活保護利用者に対するケースワークの本来の姿の話になりました。

 まず、生活保護制度においてケースワークをとおして利用者が果たすのは、「社会復帰」であって「自立」ではないことが言われました。厚生労働省が示す、生活保護法上の「自立」は、どうしても経済的な自立と不可分一体のものとして議論されるので、それよりも広い概念としての「社会復帰」が、利用者が自尊心・自己肯定感を高めるとともに、自分らしさを取り戻すために最適な目標となることが言われていました。
 
 そして、そのために重要なのは、利用者の経済的自立を果たすために就労指導を執拗に行い正規雇用に就かせることではなく、それと同時に、社会面の復帰を果たすこと、居場所・いきがいをつくることであると言われました。人間嫌いのまま生活保護制度から脱したところで、社会的な生き物である人間が、ましてや現代社会において人とのつきあいは不可避であるところまた要保護状態に戻る可能性は高いと言わざるをえないでしょう。割り切って、付き合うところは付き合う「気持ちの切替え」が出来る心のタフさは必要だと思います。それを鍛えることをしないといけないのでしょうね

 翻って私を見ていますと、人類みな兄弟でみなと交流したいという気持ちもあります。でもそれは、理性がそうさせているからで、本能・本心は付き合いやすい・話していたい人と付き合いたいと思っています。プライベートの部分においては、基本付き合いやすい人とコミュニケーションをとり、交流・ネットワークを深めていきますが、それが外の人と一切付き合わないという二者択一的なことを言うのではなく、目的があって交流を必要とするのであれば、それはするし、するのなら深めていきたいと考えます。
 理性と本能がない交ぜになって人間の思念が構成されている以上、バランスによって物事を考えるのは自然なのかもしれませんね。  

Posted by ひるとん at 09:47Comments(0)法律

2012年12月13日

総合学習が求めるもの ~領域をまたぎ越す力~

 皆さんは、冬が好きですか、夏が好きですか?好きな季節についての理由も人ぞれぞれ違うでしょう。冬はおしゃれが出来るから、夏のうだるような暑さより冬の方がましだから、、、。その人その人の理由が出てきそうですが、そういう自分の好みというのを追っていると自分はこういう傾向のものを好むのかと新たな発見があるかもしれません。私は最近は夏がすきだったのですが、今は冬も悪くないなという好みの変遷の渦中です。冬の寒気が大陸から舞い込み・・・などとの気象情報を聞いていると、シベリアの極冬を必至にまたは創意工夫しながら生き抜く人々の息吹が混ざった空気が、遠く私たちの地域にまで届いている、どういった生活をしているのだろう、それでも私たちは一緒の地球人だ、などと遠くのことに思いをはせたりしています。

 さて、最適なコンセプトの立て方を考えており、先には、具体的すぎるコンセプト、例えば「計算力」や「走力」などでもダメであるということを見てきました。

 では、どういった具合のコンセプトを立てたらいいのでしょうか。

 現在のような学校において総合学習のような授業枠が導入されるようになった背景には、教科を横断的に貫いていく思考の在り方が求められるようになったことが挙げられます。自分の経験をさまざまな観点から捉え、その後の活動に生かすような、経験と思考の循環回路を技として身に付けていくことが、一層求められるようになりました。
 これからの教育においては、さまざまな教科の勉強が、有機的に絡み合うようにすることが必要です。

 さらには、教科の枠を超えていくというだけではなく、学校の勉強と仕事といった領域を異にする経験をまたぎ越す力が、今、求められています。

 齋藤先生は、「それだけに、領域が異なっても通用する力の設定、さまざまな領域において、横断的に通用する力のコンセプト作りが重要になってくる」と述べています。
 「そのような領域をまたぎ越す力のコンセプトを共通の目標として設定することには、大きな効果がある。そのもっとも大きな効果の一つは、すでに経験してきているさまざまな領域における活動経験を結びつけることができるようになることだ。各教科での活動や遊び、スポーツや日常生活での出来事などを、こうしたコンセプトによって地続きにすることができる。」そのような力を設定することにより、領域をまたぎ越すような力を鍛え上げることができるという発想につながります。
 もちろん万能の概念ではないのですが、そう考えることでなんだか、ワクワクしませんか。

 次は、このような力の設定の仕方を追って見ていきましょうね。

 末尾になりますが、最後までお読み頂きありがとうございます。

 ふたばふたばふたばふたばふたば
 
 
    

Posted by ひるとん at 10:03Comments(0)教養

2012年12月06日

具体的すぎてもダメである ~最適なコンセプトの定め方~

 しんしんと寒さが増し、外に出ると手がかじかむ感覚を覚えるようになりました。私は寒さには弱いことを自覚しておりますので、既にスラッグスの中からモモヒキを着て寒さを和らいでおります。ユニクロさんのヒートテックは私の冬のお気に入りです。

 さて、先日から最適なコンセプトの定め方を見てきております。先回は、「生きる力」として、「個性」「創造性」「人間性」などの多用される言葉の概念が抽象的で、具体的にどのような力をつけていけばいいのかわかりにくい、言葉が多義的で受け取る人によってイメージが変わり、共通の認識を築きにくい点を指摘しました。

 では、具体的であればいいのかというとどうもそうではなさそうです。

 具体的な教科内容に即した目標設定、例えば計算力や書き取りの力といったものを例にとって考えてみます。

 齋藤先生は、「計算力や走力という規定の仕方の利点は、測定が可能だということである。自分の成長の度合いを知ったり、他人との比較がクリアにできるということは、向上するための目安として悪いことではない。
 しかし一方で、あまりにも具体的すぎるコンセプトは、異なる経験をつないでいく力を持たない。
 たとえば、計算力や走力といった力はあまりにも具体的すぎて、教科の枠内に閉じられた目標設定でしかない。計算力や走力といったものは、さまざまな活動領域の諸経験を相互に結びつける力を持たず、算数や体育で重要とされる力であっても、国語や社会ではまったく必要とされなかったりする。そのような力の設定では、教科や横断的に貫くコンセプトにはなりえない。」といいます。
 異論はあるとも思いますが、さまざまな活動領域の諸経験を一定の共通要素でもって括り、さらにそこから発展的に昇華したコンセプトを生み出すことまで要求することを考慮すると不足しているかもしれません。

 さらに、「教科を横断的に貫いていく思考のあり方が求められるようになった。自分の経験をさまざまな観点から捉え、その後の活動に生かすような、経験と思考の循環回路を技として身につけていくことがいっそう求められるようになっている。
 これからの教育においては、さまざまな教科の勉強が、有機的に絡み合うようにすることが必要である。」
 と言っています。

 ふたばふたばふたばふたばふたば

 末尾になりますが、いつも最後までお読み頂きありがとうございます。

   

Posted by ひるとん at 09:59Comments(0)教育

2012年12月03日

生きる力で現状が良くなるのか? ~抽象的すぎるコンセプト~

 昨日のナハマラソンを走られた皆様、それぞれの感慨を持っているのでしょうけれど皆様ナイスラン!私のマラソンのような長距離走に対し持っているイメージは、身体の体力・健康増進もそうですが、「メンタルの体力」も鍛え上げる者だと思います。まず、完走を目指すからには、練習無しでも練習しなくてもいいほどの身体の素地を学生時代に築き上げてきた人がほとんどで、やはり時間軸の違いはあれど、誰もが身体を厳しく磨き上げてきたように思います。練習を続けていくと体力が次第に向上してきてもっと磨き上げようとさらなるレベルアップを望んでいくでしょう。その過程で、自分の「走っている」という行動を支えている身体内部の骨格・筋肉の動きに注目していくようになるでしょう。しなやかにかつ俊敏で力強い筋肉を目指して、酸素をたっぷり含んだ筋肉を作り上げていく、そのためには合理的に理想の筋肉にたどり着くための練習方法を研究しなければならない。。。。
 そういった本番前に自分の身体を作り上げていく過程でのメンタル上の体力の強化が図られていくのが1つ。

 さらには、本番での自分の目標を目指しての自分との戦い。
 家族に、沿道の声援に励まされ背中を後押しされながら動かない足を、枯渇しそうな精神力をなんとかふりしぼり前へ足を押し出す、その戦いの過程でのメンタル力の向上。

 今では、一身上の優先順位の関係からマラソンからは遠ざかっていますが、自分との戦いの境地であるマラソンは、私のプライベートにおいて自分の精神衛生上いい効用を与えてくれますので、身の周りが片付いてきたらまた走り出したいです。

 さて、先までに、「中間項的概念」の話に触れました。
 その対極に位置する概念と比較しながら見ていった方が分かりやすいですので、まず「抽象的すぎるコンセプト」の話から触れます。

 今の21世紀の現代社会を生き抜く上で求められる基礎的な力を設定する際にしばしば見られる現象として、「抽象的すぎるコンセプト(概念)」を目標に設定してしまうことだと言います。
 「追い込まれてプレッシャーがかかった状況の中で、しばしば陥ってしまう誤りは、抽象的すぎるコンセプトを目標にしてしまうことだ。たとえば、『生きる力』『人間性』『個性』『創造性』と言った言葉が典型的なものだ」
 なんとなく、どの言葉からも一時は自分のヘコんだ状況を励ます言葉であったものなので、ドキリとする感覚です。

 「確かに生きる力や人間性は大事なものである。これは誰も否定のしようがない。しかし、あまりに抽象的すぎて具体的に何をしたらよいのかわからない。人によって受け取るイメージが多義的すぎて、共通の認識が形成されにくい。」
 これには、異論もあります。それを個々人で解釈して深めていって各人各様に錬磨する力を定立していって練習していく、そういった包摂する最大公約数となる。私もそう思ったりしました。
 けれどもそれは、その個々人の力に依存しているだけであって、言葉自体が定立する概念ではなく解釈という作業が入ることからいかようにも広がる余地があることから概念を画しようとする言葉の働きにそもそも相反しそうにも思えます。
 
 「そして、こうした言葉は、「神輿を担ぐときに周りの人がかける『ワッショイ』というかけ声と似ている。かけ声で少しは元気になる。しかし、そのかけ声が神輿を担いでいるのではなく、神輿を担ぐ肉体が、やはり肝心なのである。」そして、神輿、または神輿を担ぐ行為が、ここで言えば具体的なカリキュラムやトレーニングになります。」
 「個性や創造性と言った言葉も、いわばかけ声であってコンセプトというほどのものではない。たしかにこれらもあった方がよいものばかりだが、あまりにも耳障りが良すぎて、そこで思考がストップしてしまう。具体的に技を身につけたり、トレーニングをするという基本的なことが、こうした砂糖菓子のような言葉でないがしろにされてしまう危険性がある。」
 思考の停止は私が陥りやすい現象です。合理的に事実関係を整理し厳しく深めて本質を定立しようとは思うのですが、易きに流れやすいのか停止してしまいます。反省。

 抽象的すぎても、実践的な力・技術を構築するためのコンセプトにはなり得ないということだと思います。

 では、具体的であればそれでいいのでしょうか。次はそれを見ていきたいと思います。

 末尾になりますが、いつもお読み頂きありがとうございます!!!

 ふたばふたばふたばふたばふたば  

Posted by ひるとん at 10:02Comments(0)教育

2012年11月26日

祖父母との週末

 11月も26日に入り、クリスマスムード、年末ムードが色濃くなり街中も賑わってきました。

 
 私の週末は祖母にひ孫を見てもらおうと、祖母が入所している国頭村へ行きました。着いたときにはお昼後で祖母達は昼寝から目を覚ますところでした。祖母は、記憶を回帰する脳機能jに不具合が出ているのか、その日の体調により、私を思い出したり出さなかったりします。この日は、私のことは思い出せなかったようですが、妻が妊娠していたことは覚えていたようで、産まれたことを喜んでいました。祖母の喜んでいる顔を見ると、やはり私もうれしくなりました。

 翌日は、私と妻の出会いの日、私たちの祝日で、妻の好きな「ジミー」のオードブルとアップルパイのセットでお祝いです。
 ジミーで買った惣菜の中にいんげんまめのおかずが入っていました。いんげんまめは祖父が元気だった頃自分たちで食べる分を育てており、よく私たち家族にお土産として持たせたものでした。母が良くシーチキンとタマネギとあわせてとっても野菜のあまみを感じるおかずをよくつくっていたのを思いだしました。
 私の受験時代、ジママさんの「でいご」という唄を聞きながら早朝のウォーキングに出かけていました。祖父にひかれて近くの並木道がある公園に行き、並木道の下を祖父の大きな手にひかれ、樹を、祖父の笑顔を見上げていたのが思い起こされ、祖父の力強い手に支えられいるように感じ「私は一人なのか」という孤独感を払拭してくれました。

 思い出したのは、私の尊敬する人は「祖父」でした。

 週末は、祖父母に温かく囲まれた最高のリラックスができました。

 ふたばふたばふたばふたばふたば
   

Posted by ひるとん at 09:57Comments(1)家族

2012年11月22日

なぜ3つの力が必要なのか?

 今日は朝から雨ですね。6時頃起きたときには、雨が小雨程度ではあったが降っていたため、出勤時間頃には雨脚は強くなるのかなぁと思っていたら、逆で、雨脚は止み、カッパ無しでn出勤となりました。ですが、雨降り後の道路の路面は滑りやすく、いつもどおりのブレーキのかけ方をすると、途端に路面をスキーのように滑っていくので、ブレーキのかけ方も要注意です。車輌で通勤される方は、路面の環境不良に加えて、驚愕するほど渋滞するので、時間には余裕を持って移動されて下さい。。。

 さて、先から、個人的に関心の深い「教育」という領域の話を中心に列挙していっています。

 『段取り力、コメント力、真似る盗む力が重要である』ということが大きなテーマになっていますが、それを端的に示す例として、齋藤先生が以下のように例示しています。

 「今までは、誰もが一部の積極的なエリートとみなされた人の特技という感じでみられていたが、これからは誰もがこの3つの力についての知識や技術を盗もうとすること。段取りを組み立ててもらうのではなく、自分でコーディネートしようとすること。そして、頭の中で物事を整理し、それを人に伝えようとすること。これらは人として既に必要な力なのだ。」

 齋藤先生は、この3つの力が現代社会を生き抜く上で絶対的な力だとは言っていません。もちろん、一般的に見ても必要な力は外にも無数にあると思いますが、しかしその中でも重要な力の一部である、そして、外の数多くの力を身につける・鍛錬する上での、後述しますが、「中間項的概念」になると言っているのです。

 抽象的でもなく、具体的すぎでもない、「中間項的概念」とはどういったものか

 次には、それを見ていきます。

 末尾になりますが、いつもお読み頂きありがとうございます!

 ふたばふたばふたばふたばふたば

 

   

Posted by ひるとん at 09:21Comments(1)教育

2012年11月21日

子どもに伝えたい3つの力

 気がつくと、11月も下旬。先に寄稿した日から1ヶ月以上も経っており、時間の過ぎる早さを感じております。

 さて、先回のブログでちょろっと触れた、子どもへの教育の中で特に現代社会を生き抜く上で大事だと考えている3つの力、「段取り力」「コメント力」「まねる盗む力」ですが、なぜ、これを大事だと考えているのかを齋藤孝氏(明治大学文学部教授)の言葉を借りながら、私の再確認の意味も込めて見ていきます。

 これまでの教科の学習と総合的な学習をつなぎ、しかもそれが「生きる力」を鍛えることにもなるためには、どのような課題意識をもって臨めばよいのであろうか。
 子どもに本当に伝えたい、伝えなければならない力とは何なのか。これを明確にし、多くの人が伝えるべき力についての共通認識を持つことによって、もうろうとした浮き足だった教育の現状から抜け出すことができると考えている。

 齋藤先生が言う子どもに本当に伝えたい、伝えなければならない力として、「段取り力」「コメント力」「まねる盗む力」を提唱しています。

 今後は、この3つの力を個別に、また相互をつなげながら見ていき、現代社会を力強くそして楽しく生き抜く力として見てきます。

 末尾になりますが、いつも最後までお読み頂きありがとうございます!

 ふたばふたばふたばふたばふたば

   

Posted by ひるとん at 09:44Comments(0)教育

2012年10月18日

気概を持った教育とは

 東京大学の大学病院がテレビ報道に出演しているのを見て、なぜかふと頭をよぎったのが、「教育」の目的でした。

 まず、思い浮かぶのが学校教育による義務教育の目的ですが、社会に出て生活を営んでいく上で必要な基礎能力をつける環境を形成することでしょう。

 しかしこれには、段階があります。

 幼児教育の段階で、人格形成につながる道徳心を学ぶ教育を必要十分に行うこと。具体的には、家庭でのしつけ、学校での道徳の授業、友人とのコミュニケーションなどをとおして、人と人とのつながりが構成する社会での生き方、その中で自立して生きていくという人間関係の摩擦が織りなす葛藤から自己を形成していくという人格形成過程が重要です。そこでは、まだ子どもは自分で主体的に学ぶ能力が不足しているので、大人がしばしばきめ細かく指示する必要があるように思います。
 最近では、中間的な関係性として地域の自治会・青年会の青年との交流も頻繁に行われるようになっているようですね。先輩と一緒に地域を清掃しきれいにする、先輩からエイサー・三味線などの伝統芸能を学ぶ、その交流の中で先輩から社会の秩序、社会の中での人との付き合い方を学んでいくのですね。

 小学校低学年くらいには、人格形成もほぼ完了し、低学年らしい幼さも含んだ自己が出来上がっていきますね。
 この段階から、社会に効果的に成果を上げていくための生きるための総合力をつけていくと、3段飛びの要領でジャンプするまでの溜めとなり、成果を出すためのジャンプが飛躍的に伸びることにつながります。

 その総合力とは、私が尊敬する明治大学文学部の齋藤孝教授によると、3つの力が構成するものだといいます。

 1つは、段取り力、1つはコメント力、残る1つはまねる盗む力です。

 この1つ1つは実に示唆に富み、成果を上げるための効果的かつ合理的な実践的能力です。そしてその能力を育成する教育が、人と人との関係で構築される社会に対し効用をもたらす健全な夢を育む「気概を持った教育」になると考えています。

 この生きるための3つの力を、「教育」というカテゴリーでは齋藤先生のお言葉を借りながら考えていきたいと思っています。

 よろしくお願いします。

 末尾になりますが、いつも最後までお読み頂きありがとうございます!

 ふたばふたばふたばふたばふたば
 
   

Posted by ひるとん at 10:26Comments(2)教育

2012年09月29日

~遺言には、方式がある~

 なんと1カ月以上ぶりの投稿となります。

 時の過ぎ行くスピードを実感します。。。

 さて、 

 前回に、「尊厳死宣言公正証書遺言」をご紹介しました。

 あと、遺言には、普通の場合にしたためる遺言と「特別の場合にしたためる遺言」の二種類があります。

 一つが、「自筆証書遺言」というものと、もう一つが「秘密証書遺言」というものです。

 公正証書遺言と併せて、普通方式の遺言とかと言ったりします。それは、疾病その他の原因により死亡が目前に迫った人のための「死亡危急時遺言」、伝染病のため行政処分によって交通を絶たれた場所にいるひとのための「伝染病隔離者遺言」、航海の只中にいるほとのための「在船者遺言」、航海中遭難した人のための「船舶遭難者遺言」の4種類の特別方式遺言と区別するため方式が別となってあります。

 特別の方式は、後に残る者のために遺言をしたためたいが、異常事態にあるため、普通の方式によることが取りにくい方のために用意されている制度です。

 それぞれの、遺言の形式、内容についてはまた次回。

 最近、印象に残った言葉。

 「本を10回も読めるのはなぜか。
 そこには自分自身に対する期待感というものがあるのだ。いつか本が自分を引き上げてくれる、これが役立つと信じているから読む。」 (「<貧乏>のススメ」82ページ、斉藤孝、ミシマ社)


 末尾になりますが、いつもお読みいただき誠にありがとうございます。


ふたばふたばふたばふたばふたば
 
   

Posted by ひるとん at 17:42Comments(0)法律

2012年08月16日

どういう死に方をしたいですか? ~尊厳死宣言公正証書遺言~

  遺言とは、読んで字のごとく「思いを綴った言葉を現世に残す」という意味ですが、民法にある遺言の概念としては、その人自身の財産の処分方法を指定するのが主ですが、そのほかに重要な事項として遺言で認知をしたり、残された子の親権者に代わる未成年後見人を指定したり、財産を財団にして公益目的のために処分したりと、遺言の機能は多岐にわたります。

 その中で、先日、沖縄市にある公証人役場に公正証書遺言の謄本を取得しに訪れた際に、「公正証書遺言」のについてのポスターを何気なく眺めていると、中に「尊厳死宣言公正証書遺言」についての概要の説明がひっそりと貼られていました。

 「尊厳死」という言葉・概念、皆さんはご存じの方も多いとは思うのですが、私の理解では、回復の見込みのない末期の心身状態となった際に延命措置をとり少しでも長く心身の生存機能を留めることをやめ、人間の尊厳を最大限尊重しその人らしい死に方を尊重すること」としております。

 現代では、発達した先進医学により、末期のがんになっても、放射線・薬物・外科手術などを行うことにより治る、または終末期を延ばすことが可能になりました。ただ、終末期を延ばしても、そこには、筆舌に尽くしがたい大きな負担をを強いることになることになり本人、または家族が苦悩するということも実例として出てきました。それは果たして患者のためになるのか、誤解を恐れずに言うと、それは果たして患者が望んでいることなのか、という生命倫理をも巻き込んだ問題がわき起こり、今では、自分のことは自分で決めるという「自己決定権の尊重」という観点から、「尊厳死」も許容されるようになってきました。

 そこで、「遺言」という最終意思(意志)の発現の制度においても、尊厳死の意思(意志)を取り入れようという扱いがされております。

 哲学に及ぶ論点を内在した問題で、ライフマネジメントにおいて生き方・死に方など多様な考慮したい点にも及ぶ一度は考えなければならない事項だと思います。

 以下、日本公証人連合会からの同制度に関する詳説を抜粋します。

 過剰な延命治療を打ち切って、自然の死を迎えることを望む人が多くなってきていますが、その顕れとして、事実実験の一種として、「尊厳死宣言公正証書」の作成例も見られるようになってきました。
 「尊厳死」とは、一般的に「回復の見込みのない末期状態の患者に対して、生命維持治療を差し控え又は中止し、人間としての尊厳を保たせつつ、死を迎えさせることをいう。」と解されています。近代医学は、患者が生きている限り最後まで治療を施すという考え方に忠実に従い、長らく、1分でも1秒でも生かすべく最後まで治療を施す治療が行われてきました。しかし、延命治療に関する医療技術の進歩により、患者が植物状態になっても長年生きている実例などがきっかけとなって、単に延命を図る目的だけの治療が、果たして患者の利益になっているのか、むしろ患者を苦しめ、その尊厳を害しているのではないかという問題認識から、患者本人の意思、すなわち、患者の自己決定権を尊重するという考えが重視されるようになってきました。「尊厳死」は,現代の延命治療技術がもたらした過剰な治療を差し控え又は中止し、単なる死期の引き延ばしを止めることであって許されると考えられるようになりました。
 近時、我が国の医学界などでも、尊厳死の考え方を積極的に容認するようになり、また、過剰な末期治療を施されることによって近親者に物心両面から多大な負担を強いるのではないかという懸念から、自らの考えで尊厳死に関する公正証書作成を嘱託する人も出てくるようになってきました。
 「尊厳死宣言公正証書」とは、嘱託人が自らの考えで尊厳死を望む、すなわち延命措置を差し控え、中止する旨等の宣言をし、公証人がこれを聴取する事実実験をしてその結果を公正証書にする、というものです。
 ところで、尊厳死宣言がある場合に、自己決定権に基づく患者の指示が尊重されるべきものであることは当然としても、医療現場ではそれに必ず従わなければならないとまでは未だ考えられていないこと、治療義務がない過剰な延命治療に当たるか否かは医学的判断によらざるを得ない面があること、などからすると、尊厳死宣言公正証書を作成した場合にも、必ず尊厳死が実現するとは限りません。もっとも、尊厳死の普及を目的している日本尊厳死協会の機関誌「リビング・ウィル」のアンケート結果によれば、同協会が登録・保管している「尊厳死の宣言書」を医師に示したことによる医師の尊厳死許容率は、平成15年は95.9パーセント、平成16年は95.8パーセントに及んでおり、このことからすると、医療現場でも、大勢としては、尊厳死を容認していることが窺えます。いずれにしろ、尊厳死を迎える状況になる以前に、担当医師などに尊厳死宣言公正証書を示す必要がありますので、その意思を伝えるにふさわしい信頼できる肉親などに尊厳死宣言公正証書をあらかじめ託しておかれるのがよいのではないかと思われます。尊厳死宣言公正証書の一例を、下記に記しておきますので、参考にしてみて下さい。

【文例 2】

尊厳死宣言公正証書
   本公証人は、尊厳死宣言者○○○○の嘱託により、平成○○年○月○日、その陳述内容が嘱託人の真意であることを確認の上、宣言に関する陳述の趣旨を録取し、この証書を作成する。
  第1条 私○○○○は、私が将来病気に罹り、それが不治であり、かつ、死期が迫っている場合に備えて、私の家族及び私の医療に携わっている方々に以下の要望を宣言します。
   1 私の疾病が現在の医学では不治の状態に陥り既に死期が迫っていると担当医を含む2名以上の医師により診断された場合には、死期を延ばすためだけの延命措置は一切行わないでください。
   2 しかし、私の苦痛を和らげる処置は最大限実施してください。そのために、麻薬などの副作用により死亡時期が早まったとしてもかまいません。
  第2条 この証書の作成に当たっては、あらかじめ私の家族である次の者の了解を得ております。      妻   ○ ○ ○ ○   昭和  年 月 日生
     長男  ○ ○ ○ ○   平成  年 月 日生
     長女  ○ ○ ○ ○   平成  年 月 日生
    私に前条記載の症状が発生したときは、医師も家族も私の意思に従い、私が人間として尊厳を保った安らかな死を迎えることができるよう御配慮ください。
  第3条 私のこの宣言による要望を忠実に果して下さる方々に深く感謝申し上げます。そして、その方々が私の要望に従ってされた行為の一切の責任は、私自身にあります。警察、検察の関係者におかれましては、私の家族や医師が私の意思に沿った行動を執ったことにより、これら方々に対する犯罪捜査や訴追の対象とすることのないよう特にお願いします。
  第4条 この宣言は、私の精神が健全な状態にあるときにしたものであります。したがって、私の精神が健全な状態にあるときに私自身が撤回しない限り、その効力を持続するものであることを明らかにしておきます。

【解説】
  (第1条関係)    1  この証書の核心部分で、延命治療の差し控え、中止の宣言と併せて苦痛除去のための麻薬などの使用による死期の早まりの容認を述べています。
   2  延命治療の差し控え、中止(尊厳死)が許容される場合として大方の意見の一致をみているのは、医学的所見により不治の状態にあり、死期が迫っていて、延命治療が人工的に死期を引き延ばすだけという状態にある場合です。したがって、植物状態になっただけでは、それがある程度継続していても、尊厳死を許容することについては、現状では問題が多く、公正証書化は無理かと思われます。
  ( 第2条関係)
 医療の現場では、延命治療の差し控え、中止をするか否かの判断に当たっては、本人の意思のほか、家族の了承が重んじられている現状にあるので、できれば、この文例にあるようにあらかじめ家族の了承を得ておくのが望ましいのです。
  ( 第3条関係)
 医療現場においては、刑事訴追を懸念するあまり、尊厳死宣言に対し、過剰に拒否的態度に出る医師もないとは限りませんので、この文例では、嘱託人が、その指示に従って医療をしてくれた医師等を捜査や訴追の対象にしないことを望むとの記載をしておくこととしたものです。
  ( 第4条関係)
 延命医療の差し控え、中止の意思は、治療行為の当時になければならないため、宣言が有効に撤回されない限り宣言の効力が持続している旨述べているのです。

 (日本公証人連合会HPhttp://www.koshonin.gr.jp/index2.htmlより )

 末尾になりますが、いつもお読み頂きありがとうございます!

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Posted by ひるとん at 10:01Comments(1)法律

2012年08月14日

一万人エイサー ~地域のつながり~

 暑い日が続きますね。お身体に不調を来すことのないように、暑さ管理にも意識を払っていきましょう。

 さて、先日、自分の保険関係の見直しをしに那覇市牧志「国際通り」に行って参りました。

 
 
 用事を済まして「カーゴス」から出ると、すると、どこからかエイサーの音調が聞こえてくるので、なんだろうと注視していると、うちわ黄色いTシャツを来ている人が多数いるのに気付き、Tシャツバックに「一万人のエイサー踊り隊」とプリントがありました。今日は県内各地でエイサーや祭りなどのイベントが目白押しですね。

 


 

 
 

 「一万人エイサー踊り隊」http://www.kokusaidori.org/eisar2012/index.htmlより


 さて、国際通りの真ん中あたしにまで歩き更に用を済まし、折り返して安里付近にまで戻ってくると、「松島青年会」という団体が演舞していました。中には、襟足を長めに残した威勢の良さそうな青年たちがばちを猛々しく振りかざし太鼓を堂々と鳴らしていました。その間を団体を束ねるリーダーらしき青年が闊歩し、指笛を吹き鳴らし演舞を盛り上げていました。

 私は、何に関心を惹かれたかというと、松島地域に住む青年が集まり、意見を言い合い、年長者または年少者との交流を深めながら地域への奉仕を行う団体があるということです。最近は、自治会活動が各地で活発に繰り広げられるようになっていますね。地域の力、今一度見なおしていきたいものです。


 末尾になりますが、いつも最後までお読み頂きありがとうございます。

ふたばふたばふたばふたばふたば
   

Posted by ひるとん at 10:06Comments(1)地域・社会

2012年08月09日

住宅の種類

 今までは、市民の法、民法に定めのある不動産物権変動の対抗要件、平たく言うと、土地建物の所有名義の変更などは不動産登記簿にその内容を記録させておかないと契約当事者以外の第三者(たとえば、売り主の債権者)に主張することができなくなることについて、細かく見ていきました。


 ここから、居住用建物、住宅のかたち変遷を、住宅設計に情熱を傾けた方々からの声をたどって見ていき、それに対する個人的検証を、偉人に対する敬意をもってして行きたいと思います。

 さて、まずは、現在の住宅の種類を見てみると、以下のとおり類型化することができます。



 
 

 

「みやざきすまいの安心情報バンク ~ゆとりネット~」http://www.yutori-net.jp/live/index.htmlより

この図表を方位磁針としてもって、どこに行っているかを確認しながら、ぼくなりに「住居」という文化的生活に不可欠な産物を、いろいろな視点から見ていきましょうね。

さぁ、情報収集をしに行きます。。。

末尾になりますが、いつも最後までお読みいただきありがとうございます!

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タグ :住宅類型化


Posted by ひるとん at 09:51Comments(0)趣味

2012年08月07日

理想の人間像

 今日の職場の教養に「やる気が一番」というテーマでの叙述の中に父親の子に対する厳しい態度が現れている一面がありました。

 私は、「厳しさと温かさを兼ね備えた芯のとおった背骨の太い父親」を理想の父親像として描いており、今日のこの一文から思い描かれる父親像は、一つの模範になりました。

 さて、皆さんは、「理想の人間像」をどのように描いておりますか?

 私は、「高い行動力を維持し、目標達成の喜びを数多く実現し、どんな苦境でも笑っていられる人間である」というのが、自己(の理想像の)宣言でした。
 でも最近、現状に対し悲観的な評価ばかりをし改善の方法を考えようとしても、打つべき手が見つからず堂々巡りの心境の中、自分のとりえであった「元気」というものを見失っていたような気がしています。
 
 誘われれば、自己向上の契機と信じ快諾し団体の利益のため尽力してきたつもりでしたが、時が過ぎ、家族のほか社会的な属性が多くなってきて、個々の団体の目的、個々の団体における自分の役割も、似たようであっても違ったり、そもそも「やるべきもの・こと」が増えてきて、そのひとつひとつを一定程度のパフォーマンスを挙げようと考えていると外の「やるべきこと」が貯まってきて。。。となんだか悪循環になってきました。

 人生は有限、時間はもっと限られている、いわんや、その中での私のたかがしれた作業量で成果を上げられる物事はをや、でしょうね。

 そのことを最近、忘れていたような気がします。ましてや身の程知らずになんでもできると思っていたふしがあるのかもしれません。

 大事なことは、「やるべきこと」と「やりたいこと」を列挙し優先順位を付けること、だと考えています。重要性・緊急性の座標軸で振り分け、双方の高いものから順次臨んでいく、そして、出来る限り先手先手、〆切直前ではなく、緊急性が高まらない内から手を打っていく、

 当たり前のことを当たる前にやっていく難しさを感じております。

 そして、そんなことはなくても気概として元気でいたいとは思いますが、元気に、できれば仕事も効率よく成果を上げられればより良いですね。

 皆さんの「理想の人間像」はどのようなものですか?

 それを問い直し、日々求めているか、自分に問い直す時間は何よりも至福な、有益な時間だと思います。

 末尾になりますが、いつも最後までお読み頂きありがとうございます!

 ふたばふたばふたばふたばふたば

  
タグ :理想人間像


Posted by ひるとん at 09:48Comments(0)価値観・世界観・人生観

2012年08月02日

パイナップルの日

 皆さん、知っていましたか?

 昨日8月1日は「パイナップルの日」なんですって!

 昨日、嫁から「あんた今日何の日か知ってる?」と聞かれ、「はちがついちにち・・・~~」どうにもう~んとなかなか答えが思いつかないので「何の日?」と観念して聞くと、「観光の日」と答えていました。

 ただ、、、

 「観光週間」の一日目。現在は実施されていない。

1968年、観光週間を実施する際に、その年が国際観光年に当たり、官設観光機関国際同盟(現在の世界観光機関)が観光の日を設けるよう各国に勧告したことから、「観光週間」の一日目を観光の日とした。2009年6月に「観光週間」が廃止されるのに伴い、「観光の日」も廃止された。(「今日は何の日? ~毎日が記念日~」 http://www.nnh.to/08/01.html
 
 ということでした。。。

 さて、パイナップルの日。パイナップル、とても瑞々しく甘く、とはいえ食べ過ぎると舌が痛くなるというかわいらしい果実です。
 沖縄では、本島北部東村が名産地であることは有名ですね。
 
 今子どもたちは夏休み真っ盛り。子どもたちと、土に座る堂々としたパイナップルを自然の恵みに感謝し食す、またとない豊かな夏の過ごし方の一つかもしれないですね。

 
 ふたばふたばふたばふたばふたば   

Posted by ひるとん at 09:54Comments(2)地域・社会

2012年08月01日

朝の早起き

 8月葉月の始まりです。

 夏の暑さにも慣れ、1年をとおして活動が活発になっていく時期に入っていますね。私は。
 生態系を見ても、セミがなき、草花が芽を出し花を咲かせ、木々が往々と葉を茂らせる・・・なんだか8月は私の中では世界がエネルギーで満ちている・・・そんなイメージです。

 皆さんは夏の世界にどんなイメージを持たれているでしょうか?

 さて、そのエネルギーの充満を感じるのは、日中時間が長いことからも実感します。

 朝の目覚め、皆さんは制していますか?

 朝を制す者は1日を制す。

 やはり、勢いを持って1日を送るのも、朝早く起きて本を読む1日の予定を見通すことから、「ぐっと膝をたたんで力をためる」そんなイメージです。
 優先順位を考え、全部に全力を尽くすというよりも、時間・エネルギーは有限なので、メリハリをつけて諸事に臨む、そのためにも朝でしっかりと力をためることが重要で、僕にとっては、最近は「早起き」がそうなのかなと感じてきました。

 というのは、ぼくも前までは、6時前(5時半くらい)に起き、心身をひぐそうと朝のウォーキングに出たり、本を読み、課題をこなしと豊かな時間を送っていたものです。

 今一度、勢いを取り戻すため、その鍵はぼくにとっては「早起き」にあるのかもしれません。

 皆さんは一日をどんなリズムで送っていますか?

 それは、自分の望む、または所属団体が望むリズムでしょうか?
 現代社会、往々にして作業効率の良さが求められます。そして、それはその人の全面的な問題発見・問題分析等のスピードを上げることにもつながることでしょう。

 個々人の持つ個性において、テンポの良いリズムがとれる行動に気づき、それを習慣としたいものです。

 そして、効率性の良さといったら、なんだか無機質な・機械的なというイメージも抱きがちですが、豊かな中味も持つ充実度も持つ、矛盾しそうですが、バランスよく兼ね備えた成果・パフォーマンスを求めたいものです。

 ふたばふたばふたばふたばふたば 
   

Posted by ひるとん at 10:11Comments(0)生活

2012年07月27日

袖すり合うも

 「袖すり合うも他生の縁」ということわざ、皆さんはどう考えています?

 「たまたま縁あって隣り合ったり、前後に座ったり、話をする機会が出来たり、偶然にも縁あって関係する機会がある、いいように考えようじゃないか」

 
 ところが、 「他生」とは、そのものではなく他に起因することによって生ずることの意味で、「他生の縁」とは、「前世の因縁」という意味なんだそうです。

  
 それで、相まって、「袖が触れ合うだけでも他生の縁がある」のではなく、「道で見知らぬ人と袖が触れ合うような些細な出来事も、単なる偶然ではなく、生まれ出る前の世からの然るべき縁によるもの。だから、どんな出会いも大切にせよ」という意味になります。
 

 「人との出会い」は、様々な面からその人を豊かにします。

 そして、感性豊かな人は、人だけでなく、草木・花・昆虫・空気の流れ・天気の移り変わりなど、「世界との出会い」がその人を成長させます。かの岩手花巻に拠点を置き、文芸活動から、地域住民の農作業の振興にも貢献した花巻農学校教諭の宮澤賢二さんも、そのような感性が豊かな人だったようで、何か新たな発見をするたびに「ひゅるり~」と鼻歌を歌って、まるで飛ぶように喜んでいたようです。その姿は、生徒をして、「先生は歌うように授業をするね」と言わしめたそうです。

 
 皆さんは、成長とはどのように感じておりますか。


 私は、人との出会いから、世界の出会いから、自身を高める人、成長できる人、そういった素直さ・真面目さ・一生懸命さを持っている人・大事にしている人だと考えています。


 今日は、「土用の丑の日」ですね。


 「土用」とは、立春・立夏・立秋・立冬の前の18日間をいい、その18日間の中で一二支が「丑」の日を土用の丑の日と呼びます。今年の猛暑を乗り切るためにも、ウナギなど体力のつくものを頂き、感謝の念を併せ持ち、公私に臨んでいきたいものです。


 ふたばふたばふたばふたばふたば
  

Posted by ひるとん at 09:56Comments(2)価値観・世界観・人生観

2012年07月24日

~できるかよりやるか~

 最近は、前に書きためておいた原稿を復元することでブログをつなぐ、リストレーションワーク(restoration work、英語で復元のことを「restoration (リストレーション)」と言うようです。勉強になりました(;^^))に励んでおります。
 最近、プライベートでは、なかなか好奇心が下降気味で「趣味やプライベートアクションの幅を増やそう!」という気分が起こってきません。この点、「楽しいから笑うのではなく、笑うから楽しいのだ」という価値観から、中味(コンテンツ)からではなく金型(カテゴリー)からとも思うのですが、それにしても、なかなかです。
 考える・行動する時間をとることを忘れず、自分を深められればと思うところです。。。

 さて、先日、著名な登山家栗城史多氏の講演会に行きました。その際に書いた原稿・・・

 昨日、仕事を就業間際に明日へ引き継げるようにスケジュールを残し、足早に某会場へ向かいました。

 「目的は「栗城史多(くりきふみかず)」の講演会です。某団体からの定期文書で載っていた案内に登山家として活躍されているというフレーズを見たことがきっかけで参加を決めました。ぼくは、このブログ内でも時折、話題に出すようにしているのですが、ワタミ株式会社代表取締役社長・CEOの渡邊美樹さんが尊敬する経営者・人物像の一人であり、その渡邊さんの趣味に「登山」があり、ぼくは、水泳を趣味にしようという企みに頓挫していたため、歩くのが好きで、高見を目指していくという登山に徐々に憧れを抱くようになり、そのような心持ちの中、登山家栗城史多氏の講演会の案内が目に入ったので、登山家が持つ空気に少しでも触れ、登山について少しでも前進することができれば、そして、ぼくが一歩でも成長できればという思いから今回参加しようと決めました。」

 ・・・とここで、半端に原稿が切れておりました。。。

 さて、登山というのは、今回目標とする山を登り切ったかと思うと、その頂上にははるか頭上にそびえ立つさらなら高みを持った山が表れたりし、終わることがないのだと言われるようです。
 それは、「夢・目標を諦めずにひたむきに追いかける志高き人」そのものではないでしょうか。
 そしてそれはぼくの「ありたい自分像」です。

 ~できるよりやるか~

 なんだか、そこにあることを日頃意識しないで忘れていたように感じます。無くなってはいない、そこにあることに気付いていないだけ。「緊急じゃないけど重要なこと」に時間をとる「タイムマネジメント」の重要性は、長期の視点に立って価値としているものを再確認・再考するための時間をとる工夫を凝らすことにあるように思います。

 2012年ももう折り返し。年始に立てた目標を振り返ってみてもいいですね。

 ちなみに、ぼくは、今年の目標であった、「2012年度測量士補試験の合格」を7月20日に達成することが出来ました。
 ただ、合格圏域にあり「確証を持って」というわけではなく、「運良く」という要素が強いので、反省点も多いです。。。

 ふたばふたばふたばふたばふたば
 

   

Posted by ひるとん at 09:41Comments(0)趣味

2012年07月23日

 ~世界って楽しい~

 7月23日、一週間の始まり。7月も下旬に入り、今年も折り返しに入っております。

 行く半年を振り返り、ほめるところを思いっきり褒め、反省すべきは真摯に反省し、これから来る半年に対し、年末には、1センチでも成長した自分と会うために夢・目標を明確にし、大きな期待を抱え、一歩一歩渾身の力で前進していきましょう。そのためにも、充実した半年にするために、今からの「すきま時間」を利用し、やりたいことを考えておくようにしたいものですね。

 と言うのが、7月20日に平成24年度測量士補試験に運良く合格していました。運良くと言うのは、受験中聞いていたのが、8割以上が合格というラインです。私は、8割は下っていたので不合格だと思い込んでいたのですが、運良く合格していました!d(^^)

 なので、テンションが上がり、「たどり着きたい自分像」というのを再考しようと思うに至ったのです。

 ちなみに私は、かねてから進めたかった「登山」について情報収集などの準備を進めたいと考えています。その思いをいっそう駆り立てたのが、古いのですが、平成23年9月に、雄大な自然を誇る静岡の地で旅行行程中の「大磯の湯」という迫りくる波の力強さが意外と心地よい海と、うっそうと茂った緑に覆われそびえ立った山に挟まれた温泉が、私をして、自然の雄大さ、世界の規定外のおもしろさを感ぜしめたからです(言葉使いが変なのですが、実感を表現するとこのような感じですタラ~

 さて、私がこの静岡の地を訪れたのは、平成23年9月に全青司(正:全国青年司法書士協議会)静岡全国研修が静岡県の浜松市で開催されたからです。ちなみに、司法書士は、昭和44年に、全国の司法書士青年の会が加盟する全国青年司法書士協議会を組織しており、今年で創立43年になる団体です。

 仕事上の遠出や、仲間との旅、家族旅行、はたまた一人旅、パターンはいろいろあれど、見る視界は広く、好奇心は旺盛に持っていたいものです。

    

Posted by ひるとん at 10:01Comments(0)価値観・世界観・人生観