気概を持った教育とは

ひるとん

2012年10月18日 10:26

 東京大学の大学病院がテレビ報道に出演しているのを見て、なぜかふと頭をよぎったのが、「教育」の目的でした。

 まず、思い浮かぶのが学校教育による義務教育の目的ですが、社会に出て生活を営んでいく上で必要な基礎能力をつける環境を形成することでしょう。

 しかしこれには、段階があります。

 幼児教育の段階で、人格形成につながる道徳心を学ぶ教育を必要十分に行うこと。具体的には、家庭でのしつけ、学校での道徳の授業、友人とのコミュニケーションなどをとおして、人と人とのつながりが構成する社会での生き方、その中で自立して生きていくという人間関係の摩擦が織りなす葛藤から自己を形成していくという人格形成過程が重要です。そこでは、まだ子どもは自分で主体的に学ぶ能力が不足しているので、大人がしばしばきめ細かく指示する必要があるように思います。
 最近では、中間的な関係性として地域の自治会・青年会の青年との交流も頻繁に行われるようになっているようですね。先輩と一緒に地域を清掃しきれいにする、先輩からエイサー・三味線などの伝統芸能を学ぶ、その交流の中で先輩から社会の秩序、社会の中での人との付き合い方を学んでいくのですね。

 小学校低学年くらいには、人格形成もほぼ完了し、低学年らしい幼さも含んだ自己が出来上がっていきますね。
 この段階から、社会に効果的に成果を上げていくための生きるための総合力をつけていくと、3段飛びの要領でジャンプするまでの溜めとなり、成果を出すためのジャンプが飛躍的に伸びることにつながります。

 その総合力とは、私が尊敬する明治大学文学部の齋藤孝教授によると、3つの力が構成するものだといいます。

 1つは、段取り力、1つはコメント力、残る1つはまねる盗む力です。

 この1つ1つは実に示唆に富み、成果を上げるための効果的かつ合理的な実践的能力です。そしてその能力を育成する教育が、人と人との関係で構築される社会に対し効用をもたらす健全な夢を育む「気概を持った教育」になると考えています。

 この生きるための3つの力を、「教育」というカテゴリーでは齋藤先生のお言葉を借りながら考えていきたいと思っています。

 よろしくお願いします。

 末尾になりますが、いつも最後までお読み頂きありがとうございます!

 
 
 

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